誰も置き去りにしない子どもの居場所を考える

7月26日、練馬・生活者ネットワークの子ども部会主催で「誰も置き去りにしない子どもの居場所を考える集い」を開催しました。

障がいのある・なしに関わらず、学校や地域で共に学び、育つ環境をつくるために、私たちはどうすればいいのか、子どもたちが抱えている困難を共有し、どの子も安心して育っていけるインクルーシブな地域社会を構築するために必要なことをみんなで考えることが目的です。

講師は発達支援相談員・自閉症スペクトラム支援士・保育士で発達支援「Kids Sense」主宰の茂木厚子さんです。
茂木さんは、子どもを支える「家族・親への支援」が何よりも重要だと考え、「親が家庭でできる・ホームベースセラピー」を広めるための講演活動や、保育士・教員研修、発達相談、親のための勉強会などを行なっています。また、現代の子どもたちに、「発達を促す十分な遊び・遊び場」が足りていない現状を踏まえ、地域貢献活動として「石神井・冒険遊びの会・プレーパーク」の世話人でもあります。

茂木さんのお話の内容

今増え続けている課題として
・子どもの発達に課題があるのではないかと親が困っている「親の困り感」
・二次障害になる「子どもの状態悪化」
・不登校の原因となる「学校での不適切対応」
があげられる。

しかし、発達障害は「障がい」ではなく、たとえば多動や座っていられない、衝動性、忘れ物が多い、集団に馴染めない、感情のコントロールが困難、怖がり、偏食など、感覚の問題をもっていたり、ある部分において未発達だったりする「症状」

学校ではこのような症状をもち、みんなと同じにできない特別な支援が必要な子どもに対して「特別な支援はできない」として周りに合わせる教育がおこなわれていて、適切な対応がされていない。そして排除されたり、薬を勧められたりすることもある。

保育園ではまだ未発達の乳幼児に対して「月齢別発達チェックシート」で全てを判断し、できないことを無理やりやらせる、「可愛がる」=「甘やかし」と勘違いして抱っこしない、手伝ってあげない、怒る、多動児は散歩に連れて行かない、などのケースもある。

医療の面からは子どもの問題行動の原因を聞かずに親のしつけや関わり方のせいにして「発達障害」や「多動性障害」と診断することで薬で対処する。
発達障害が増えているのは個々の違いを認めず病気として診断するから。

家庭では親が何でも決めてしまい、命令や管理型しつけ、過干渉など子どもの人権が守られず、子どもの自尊心や考える力がそだたない。

障害者差別解消法の中で義務付けられた「合理的配慮の提供」についても意思表明できない本人の人権が尊重されず、学校においては先生のための合理的配慮になっていることは問題。

本人への合理的配慮の例として、多動、座っていられない子どもにはガムなどの噛むグッズ、身体が納まるようなクッション、バランスボール、ブランコなど、回転や揺れなどの刺激で落ち着く、パニック症状には毛布や個室の使用、言語の問題についてはコミュニケーションツールとして絵カードやサインを使う、などがある。

アメリカでは各学校、幼稚園にOTルーム(作業療法室)がある。
また、発達支援には担当ケースワーカー、療育センター、セラピスト、幼稚園、学校の先生、医師などが連携してその子をまるごと支援するしくみができている。
さらに個別支援計画の会議では子どもの人権が守られるよう、弁護士が同席するケースもある。

日本の子どもは「自分は孤独だと感じている」「自分はダメな人間だと思う」割合が他国と比べて非常に高いと報告されている。

以上のような現状を説明した上で、日本が人権侵害に関わる法律の整備が遅れていることを指摘し、多様性の尊重の視点が必要だと茂木さんは話します。

今練馬区では、子どもの支援にプレーパークや子ども食堂をはじめ、様々な団体が連携していますが、窓口はひとつが理想的で、それは「子ども家庭支援センター」とのことです。
会場からは子ども家庭支援センターも仕事が多すぎて対応しきれていないのでは、ぴよぴよも予約が一杯でキャンセル待ち、などの声がありました。

最後に何より遊ぶことの大切さ、子どもは誰も教えないのに遊ぶのは神経系機能を育てる本能とのことです。

今は自分で遊びを考えることが少なくなったような気がします。大人に買い与えられた遊びに夢中になっている姿を見て、特定の神経系機能しか使われていないためにバランスを崩している子どもが増えているのではないかと危惧します。

子どもの居場所は「その子」が決める。子どもが中心になっていることが大事。
私たちにできることとして
一人ひとりがまずは知ることから始めて情報を共有し、つながり、協力し合い、気にかけること。そして声をかける勇気、行動する勇気をもつことで社会を変える。

その子が社会に合わせるのではなく、社会がその子に合わせる意識に変えることが大切だと思いました。
その子の「困った」を少しでも減らし、共に学び、遊べる居場所づくりには何が必要か、多くの方たちとつながり、一緒に考えていきたいと思います。