子どもたちと一緒に考える被災地の復興支援
第5回「子どもたちと一緒に考える被災地の復興支援」に参加しました。
主催者の「東日本大震災子ども支援ネットワーク」は、東洋大学社会学部教授の森田明美先生が事務局長で、震災直後子どもたちのことが後回しにされている中で、どのような支援が必要か子どもの声を聞き、子ども参加の復興について考え、実践しています。
2012年からはシンポジウムを開き、今回で5回目になります。
また、2011年9月には森田先生を理事長とする「こども福祉研究所」が岩手県山田町に子どもの居場所「ゾンタハウス」を開設し、震災で勉強できる環境にない子どもたちの自習室として軽食の提供や学習支援を続けています。東洋大学の学生もボランティアで参加しています。
2回目のシンポジウムからはゾンタハウスや被災地の子どもたち、ボランティアの大学生も参加して支援について一緒に考え、意見交換する場になっています。
森田先生は、5回目となる今回の開催にあたり、「震災後4年が経ち当時中学生だった子どもが大学生になった。これまで大人社会がおこなってきた子ども支援が子どもたちから見てどんな効果があったか、どんなつながりがあるかを探りたい。そしてふだんの暮らしの中で子どもたちに寄り添い、語れる場を作り、子どもたちが何を感じているか耳を傾けたい。」と話されました。
今回は南三陸町、仙台市、いわき市、郡山市、山田町の子どもたちから報告があり、その後5グループに分かれて意見交換をおこないました。
南三陸町では高台移転やかさ上げで戸倉地区はニュータウンができるが、まちの将来像 がまだ見えず、町外に新居を構えてしまう人が多く、地域のコミュニティがなくなっている。コミュニティを大切にしたまちづくりをして欲しい。
大学生は震災を経験していない友達に被災地を案内するツアーを企画し、一緒に協力することで震災を語り継ぐことができる。ツアーをこれからも続ける。
仙台では見えない「風化と心のケア」に対して情報や経験を共有する場が必要。子どもたちを無償で海外派遣するSOKや学生団体SPREAD(スプレッド)、2020年オリンピックの時に日本がどうあったらいいか、私たちが何をすればいいかを話し合うPLANPIC(プランピック)などで活動している。
いわき市では22,000人が避難してきた。楢葉町は原発から20km圏内で昨年避難解除されたが、帰る人が1%に満たないため町の復興ができない。楢葉中学校が新築され、4月に開校されるが、いわきから通うのは大変なので楢葉に戻らないといけない。戻りたくても戻れない子どもたちが問題。双葉みらい学園では「産業社会と人間」という授業があり、劇をやることで自分が変わることができた。
郡山ではシングルマザーズフォーラムの小中学生が郡山市のおすすめを7つ紹介。桜、梅、桃が一度に咲く三春、五色沼、猪苗代湖、奥羽大学、ビッグアイのプラネタリウム、野口英世、生キャラメル。
山田町からはゾンタハウスに通っている中高生から、集中して勉強ができ、大学に合格した、希望どおりに就職できた。これから受験する、などの報告。
意見交換では
・色々な支援があったから今の自分がいる。これからは感謝の気持ちと震災で経験したことを語り継いで、世界の人たちに伝えていきたい。
・ゾンタハウスの存在はおおきかった。色々な学年の子どもたちや大人と一緒に過ごすことで家族みたいな感じ。家や学校で相談できないことも上級生に相談したり、勉強を教えてもらったりできる。ゾンタがあったから受験勉強に取り組めた。他の地域の子どもからもゾンタのような居場所があればよかったとの意見がありました。
・このような意見交換会で新しい出会いがあったり、外の地域の情報を聞くことで地元のことをあらためて知ることができた。これからも続けて欲しい。
・支援について必要ないと思うような支援もあったので何が必要か聞いて欲しい。
などの意見が出ました。
私たちは2012年にゾンタハウスを訪ねました。
震災後、大人たちが生活に追われて子どものことを考える余裕がない中で、子どもたちも親に遠慮して進学したいとか勉強したいと言えなかった時、子どもの居場所として大きな支えになっていることを実感しました。
そしてこの4年間であきらかに子どもたちの気持ちがこれまでの経験を通して「これから」に向かっていることを感じました。
支援を受けてきた自分たちが今度は支援する側に立っていこうとしているのを知ることができ、意見交換会が連続しておこなわれているからこそ感じ取れるのだと思います。
まだ復興には遠く、支援が必要な子どもたちは大勢いるはずですが、大人が子どもの話を聴き、一緒に考えることで少しでも多くの子どもに寄り添っていきたいと思います。