子どものSOSを見逃さない~上村君殺害事件に思うこと~

川崎市の中学1年生の上村遼太君が殺害された事件は、誰もがこうなる前に救えなかったのか、と悔しい思いを胸に抱えていることでしょう。

河川敷で裸にされ、川で泳ぐことを強要されて、カッターで切りつけられた後も再び川に。状況が明るみになればなるほど、まだ13歳の少年が「本当に殺されるかもしれない」という恐怖の中で「誰か助けて!」と心で訴えていたかと思うと胸が締め付けられる思いです。

そして今、お母さんのコメントが社会問題として取り上げられています。
ひとり親で子どもより早く家を出て、帰りも遅く、遼太君と向き合う時間がなかったことへの後悔。一番辛い思いをしているのはお母さんだと思います。

母子家庭や女性の労働形態については以前から大きな問題になっていても、これまで改善されずにきました。お母さんのSOSも遼太君のSOSも受け止める体制がなかったことは深刻に捉えなければなりませんが、遼太君の死で自分への同情が集まり、大きくマスコミで取り上げられることをお母さんは望んでいないかもしれません。

 この事件について練馬区教育委員会は「長期欠席中の幼児・児童・生徒の状況も確認について」の通知を区立幼稚園、小中学校、小中一貫校あてに出し、1週間以上続けて欠席している幼児・児童・生徒の状況把握をするよう各学校に調査依頼をしています。

しかし上村君のように家族や周りの友人に気遣い大丈夫、と言ってしまう児童、あるいは友達が危険な目に遭っていても仕返しが怖くて言えない、という児童を調査だけでどこまで把握できるかは疑問です。 

大津市のいじめによる自殺事件もそうですが、何か起きてから調査、ではなく、日ごろから子どもたちに対し、「絶対に守ってあげるからね」といつでも安心して相談を受けられる体制づくりが必要です。そのためにも学校、スクールソーシャルワーカー、地域が連携してわずかなSOSも見逃さず、子どもを被害者、そして加害者にも絶対させないよう見守っていくことが大切だと思いました。