3.11「原発さえなければ」
28年前、チェルノブイリの原発事故を見て本当に恐ろしいことと感じてはいましたが、今、自分が住んでいる日本が当事国となってみて、ことの重大さを実感しています。
この3年間、1日たりとも福島のニュースが目に入らない日はありませんでした。放射能汚染は見えないだけにどう行動すればいいのか、食べ物はどこまで安全なのかわからないことばかりでした。また、原子炉建屋がどう修復されていくのか、福島の方が元に戻れるのかも先が見えず、東京にいて何ができるか暗中模索の日々でした。
そのような中で、福島第一原発の電力を最も多く消費していた東京の人間として、生活を見直し、これ以上事故を起こさないためにも原発に依存しない社会を目指そうと訴えてきました。
しかしエネルギーに関する国民的議論も、寄せられた意見の約8割が原発ゼロを選択したにもかかわらず、全くその声は反映されず、安倍政権は「福島原発はコントロールされている」「原発は重要なベースロード電源」として再び再稼働に向けて準備しています。
何より恐ろしいのはすべてを隠ぺいしようとする国の体制です。コントロールしようとしているのは情報なのです。
地下水の汚染も広がっている、故郷を追われて未だに帰れる見込みがなくても必死に耐えている状況を見て「希望を持って」と言えるのでしょうか?
東京新聞の調査では原発事故に伴う避難やストレスで死亡した方が1400人を超えたと報告されています。また、外遊びできない子どもたちの体力不足や健康被害が増えているとも言われています。
息子さん家族と一緒に避難したかったが埼玉の公営住宅で入れるのはエレベーターのない5階。お母さんはとても5階の階段を上り下りできる状態ではないので仕方なく仮設住宅で独り暮らし。息子さんが会いに来てくれても帰る時がたまらなく寂しい、という話を聞きました。何とかできなかったのか、まだ避難者への配慮が足りないし、こういったケースがたくさんあるのだろうと思うと、もっと個々のケースに臨機応変に対応する支援が必要だと思います。
先週、生活クラブ運動グループ練馬地域協議会が主催したドキュメンタリー映画「世界が食べられなくなる日」では遺伝子組み換え食品と同時に原発のことも取り上げていますが、その中で福島原発の事故で仕事を失い、怒りや絶望感から自ら命を絶った農家の妻から出た言葉は
「原発さえなければ」。
この一言に尽きると思います。
この言葉は以前、やはり自ら命を絶ってしまった酪農家のフィリピン人の妻からも聞いて心に残っていました。
原発さえなければ何とかなった。
早く止めて不便な生活でも我慢してやっていかないと。
日本だけではない、海もつながっている。空もつながっている。
昨年12月、原発を止める活動に全力を尽くした知人が突然亡くなりました。
その人の分まで頑張るつもりです。
皆さんも今日を新たなスタートとして原発のない復興を一緒に目指しませんか?