終の住処について考えたことありますか?

NHKの「終の住処はどこに 老人漂流社会」を見ました。

 病院や施設での受け入れ先がなく、ショートステイを1ヶ月ごとに転々と移らなければならない、車で移送される時の男性の悲しい顔を思い出しては切なくなります。

 自分がどのような最期を迎えるか。誰にも予想がつかないことが起こりますが、どのような状況に置かれても人間らしい生活、生きていることの喜びをたとえわずかでも味わえる生活を送りたいと願います。

 お金があれば幸せな老後を迎えられるとは限りませんが、ひとり暮らし、自立した生活を送れない、お金もない、そんな高齢者は任せるままに流離うしかない現状を何とか変えていかなければなりません。

 この男性は結局生活保護を受け、長年住んでいた都営住宅も引き払い、お墓にも入れられないままの妻の遺骨とわずかな衣服を持って自治体が見つけたサービス付き高齢者住宅へと移りますが、ベッドに横たわって落ち着く間もなく「もし延命措置が必要になったら望みますか?」と担当者に事務的に聞かれます。自分の終の住処になったと同時に自分の死をどうするか決めなければなりません。自分のことですから自分で決めるのは当然ですが、次々すすめられていく作業(のように見えてしまいます)に惨い気がしました。

特別養護老人ホームの待機者は全国で42万人。サービス付き高齢者住宅も10万~50万円と年金だけでは入居が困難です。
最後に行き着くところはNPOの運営でホームレスが宿泊する無料定額宿泊所。ここへの高齢者の入所が増えているそうです。
でもどちらも認知症や他の病気になると出て行かなければならず、長期の治療になると戻って来れません。

高齢者にとって環境が次々と変わるということは、ただでさえ体の自由がきかない苦痛のところに加え、それ以上に精神的な負担が大きくのしかかっているのだと思います。

 この番組の中で、専門家が低所得高齢者向け住宅の整備や、ある一定のコミュニティの中で

私の好きな近所の芝生畑。先日の雪景色。

自立生活が出来ない初期の段階から介護の終末までひとつの流れとして支援していくしくみが必要と言っています。

 練馬区では4人に一人が高齢者になります。

よく高齢の方から「長生きしては迷惑をかける、申し訳ない」という言葉を聞きますが、そんな気持ちにさせてしまうのは日本だけではないでしょうか。

高齢者の住まいの問題はますます深刻化していきます。命ある限り人として尊ばれ、その場その場の一時的な対応でなく、しっかり寄り添った支援体制を地域につくっていきたいと思いました。