しかし、大人も余裕がない状況で、なかなか進学のことを言い出せない子どもたちも多く、それでも子どもたちは水を高台まで運んだり、がれきを片付けたり、と一生懸命手伝ってくれたそうです。
そのような中、「国際ゾンタ」の支援により、NPO法人こども福祉研究所の理事長で東日本大震災子ども支援ネットワーク事務局長、東洋大学教授でもある森田明美さんが地域に呼びかけ、中学生の学習支援を主とした「ゾンタハウス」が作られました。
盛岡から山田線「快速リアス」で雪深い山の中を約2時間走り、宮古駅に到着。ここから先の海岸沿いは津波の被害で運行していないためタクシーで山田町へ。
線路は錆びて鉄橋も崩れていました。
町に着いて目にしたものは家が建っていたと思われるコンクリートの土台と焼け焦げた残骸だけ。駅もなくなっていました。
1年経ってもまだこんな状況?いや、逆にようやくがれきが取り除かれたということでしょうか。
山田町は津波と共に火災の被害も大きかったところです。
タクシーの運転手さんは何の目印もなくなってしまったので、どこを曲がるのかわかりにくくなってしまった、と話していました。
高台に向かって行くとゾンタハウスがあり、スタッフの方たちが温かく迎えてくださいました。
1階ではお腹を空かせて帰ってくる子どもたちのために栄養士の資格をもっているスタッフがサンドイッチと飲み物を作っています。パンなどの食材も業者が提供してくれているそうです。ワゴンには調理された数種類のサンドイッチやトーストが並べられていました。これらは子どもたちへは無料で提供しています。
もともと山田町には給食がなく、更に震災により子どもたちの食生活も心配されて軽食がはじまったとのことです。
ここでしばらく食べたり、おしゃべりしたり、とくつろいだ後、2階に上がり、勉強を始めます。
2階の自習室にある机、椅子、問題集などもほとんどが寄付によるものだそうです。
わからないところは地域の方たちやボランティアの学生が教えてくれて、この日も東洋大学の女子学生が3人、東京から来ていました。
この食事と学習の場を子どもたちが「おらーほ」(自分たちの家)と名づけています。
また、「子ども委員会」があり、おらーほの運営には子どもたちも参加しているそうです。
1階の隣りにある「街かどギャラリー」は地域の方たちの交流の場で、作品の展示もしてあります。こちらには小学生が遊びに来ていました。
ゾンタハウスは震災という大きな困難を抱え、進学や就職への希望を失っていた子どもたちに対し、大人の寄り添いがあり、居場所があり、食べ物があり、学びの場がある、そして子どもたちが自分たちで作っていかれる安心できる「家」でした。
おらーほは2年間の運営となっているそうですが、その後も継続的に運営していくにはどうすれば良いのかが課題だそうです。
最後に「私たちへ支援を考えて下さるよりむしろ、東京で地震が起きた時の方がもっと大変だと思います。ぜひ私たちの例を参考にして役立ててくれれば。」と話して下さいました。
災害時だけでなく、様々な困難を抱えた子どもたちに寄り添い、応援し、子どもたち自らの参加による居場所・学びの場作りを練馬でも実現させたいです。